Alice Street Gang | ja

バックストリート・ボーイズ(Backstreet Boys)は米国の4人組ポップ・アイドル。1995年デビュー。アルバム総売上7500万枚を超えるスーパーボーイズグループ。代表曲は『アイ・ウォント・イット・ザット・ウェイ』(I Want It That Way)、『シェイプ・オブ・マイ・ハート』(Shape Of My Heart)、『エヴリバディ(バックストリーツ、バック』(Everybody(Backstreet's Back)など。略称はBSB。日本では主に「ビーエスビー」や「バックス」と呼ばれている。 来歴 1993年4月20日に結成し、1995年に『ゴーイン・オン』(We've Got It Goin' On) でデビュー。グループ名は結成当時オーランドで人気のあったフリー・マーケット「バックストリート・マーケット」(Backstreet Market)から取ったもの。 リードヴォーカルは各自とっているが、ややニックとブライアンとA.J. が多い傾向にある。メンバーの出身地は様々だが、グループとしてはフロリダ州が本拠地。ダンサブルなポップサウンドと、アカペラもこなす実力で、ヨーロッパや日本で絶大な人気を得た。 アメリカでは「ノー・ファン時代」も経験したが、ヨーロッパの人気をひっさげ本国に凱旋。本国でのデビューアルバム(日本やヨーロッパで発売された1st『バックストリート・ボーイズ』と2nd『バックストリーツ・バック』の二枚組)を発売。勢いに乗ってアメリカツアーが行われようとしていた矢先の1998年にブライアンの持病であった心臓病が悪化し、手術の先延ばしはもう出来ないとの見解から心臓手術を受ける。執刀医はアーノルド・シュワルツェネッガーの心臓手術も担当した医師であり、手術は無事に成功をした。この年は、メンバーのハウィーの姉キャロライン、BSBサウンドをデビュー当時から一緒に作ってきた音楽プロデューサーのデニス・ポップが病気で他界しており、「天国と地獄を味わった時期」と『ローリング・ストーン』誌のインタビューに答えている。 その後1999年にアルバム『ミレニアム』を発売する。このアルバムは彼らにとっての、初の全米アルバムチャートNo.1に輝いた作品となった。さらに次作の『ブラック・アンド・ブルー』も全米アルバムチャートでNo.1に輝いた。日本でもこれらの2作品は連続ミリオンヒットとなり社会現象に発展し、名実ともに史上最大のスーパーグループとなった。2001年には初のベストアルバムとなる『グレイテスト・ヒッツ- チャプター・ワン』をリリースし、日本では150万枚を超える空前のヒットを記録する。 ニックのソロ活動などを経て、2004年に3年ぶりとなる来日公演を行う。2005年にオリジナルアルバムとしては5年ぶりのアルバム『ネヴァー・ゴーン』をリリース。全米では再びミリオンセラー、日本でもスマッシュ・ヒットを記録した。 2005年から2006年にかけては『ネヴァー・ゴーン』の発売に合わせた世界ツアーを行い、日本でも東京・大阪でライブを行い好評を博した。 その他では、すでにソロ経験のあるニックを追って、ブライアンも2006年6月にソロアルバム『ウェルカム・ホーム』を発売。A.J. もソロ活動を開始する予定。ソロ活動以外にもメンバーはチャリティやミュージカルなどさまざまな場面で活躍している。 2006年6月23日、ケヴィンが脱退。その理由は、「メンバーにいる限り達成できない夢を叶えるため」だという。 2007年には『ネヴァー・ゴーン』から2年振りとなる待望の新作『アンブレイカブル』が10月24日に日本先行で発売された。この作品はグループ初となるオリコンチャート2週連続首位を獲得したが、全米では7位、全英では21位など世界的なセールスは大きく失敗に終わった。 A.J. は毎回来日する度に、親友のTOKYO HIROにタトゥーを入れてもらっている。ニックやブライアンも彼のデザインがお気に入りで入れてもらっているが、大半の時間をA.J. に取られるので「あまり入れてもらえる時間がない」と嘆いている。 2008年2月16,17日にワールドツアー日本公演のため来日。東京ドームでライブをし、大成功を収めた。 .
Gangsta was born in Detroit 1988. .
MALICE MIZER(マリスミゼル)は日本の音楽バンド。一般にヴィジュアル系バンドとして知られる。1992年8 月結成、2001 年12月31日をもって活動休止。バンド名は「悪意と悲劇」という意味を持つフランス語による。 楽曲・衣装・セットの点において独自の世界観を徹底した、奇抜なパフォーマンスで知られる。 楽曲の大きな特徴はクラシック音楽とロックを巧みに織り交ぜた点にある。これはメンバーの多くが幼少期にクラシック音楽に触れていたことによる。衣装は白塗りの顔に中世ヨーロッパ文化を織り交ぜたものが大半を占めるが、あるメンバーには十二単調の衣装なども存在し、アーティスト写真によっては、各々バラバラのコンセプトととれるような衣装を纏っていたこともあった。 演劇要素を取り入れて、幻想的なライブを行うのが魅力の一つであるが、初代ヴォーカルのTETSUはロックバンド指向の強い人物であったため、そういったパフォーマンスを嫌っており、脱退することとなった。 TETSUが脱退し、Gacktが加入した頃、Gackt自身はメンバーに「ステージで空を飛びたい」と語っている。 また、活動当時は電球を使わず蝋燭を照明として使用する、家具をロココ調で揃えていると公言するなど公私に渡ってバンドの世界観を徹底させていた。「とんねるずのハンマープライス」では「MALICE MIZERのメンバーが貴方の家を「マリスの館」にしてくれる権」を出品した。 また、ギターのManaはファンから「Mana様」の愛称で呼ばれ、表舞台では徹底して喋らない(因みにトークイベントなどの際には、隣に「通訳」の人員を置き、「耳打ち」によって間接的に発言する。Manaによる「Moi dix Mois」としてのヨーロッパでのイベントの際には、この「耳打ち」の光景に歓声があがるという)。 発表された曲のいずれもオリコンランキングチャートの上位にランクイン[1]するヒットを飛ばし人気を博すが、1998年12月にGacktが突如行方不明になる。ワイドショーやメディアでは「雲隠れ」と報道された。1999年1 月にファンクラブ広報で正式に脱退を表明。Gacktは自伝で「呼ばれて部屋に入ると事務所の人と残りのメンバー四人がいて、『メンバーはお前とはやっていけないといっている。』といわれた。自分は『ファンに対する責任はどうするんだ。』といったところ、『シングルだそうよ。どうせ売れるよ。』と言うメンバーがいたため、『ふざけるな、ファンをなめるな』と叫んで部屋を出た。」と書いている。さらに同年6 月21日、ドラムのKamiの突然の死と不慮の事態が続く。その後、しばらく3人での活動となり、2000年7 月にMALICE MIZER初期の頃よりライヴでのサポートや親交のあったKlaha(前身バンドPRIDE OF MIND)が「白い肌に狂う哀と悲しみの輪舞」でサポートヴォーカリストとして参加。その後、同月に正式に3代目MALICE MIZERヴォーカリストとして参加。着実にCDのセールスを上げ、他方映画出演などの活動の幅を広げていたが、2001年12 月に「各メンバーの自由な活動展開を」との考えから音楽活動を停止した。 .
In 1980 San Francisco was a hotbed of talent both in front of the microphones and behind the scenes. Besides Sylvester, and Two Tons O' Fun, the city was about to launch the careers of Patrick Cowley, Paul Parker, (Frank) Loverde, Lisa, Jo-Lo and Jeanie Tracy. Behind the scenes were d.j. legends Bobby Viteritti, Trip Ringwald, Marty Blecman, Craig Morey, and Bill Motley. In this rich talented climate disc jockey Bill Motley saw an opportunity to form a group that catered to the city's large gay clientele. In his search to form a group he auditioned hundreds of vocalists, both...
いわゆる“つっぱりモノ"ではない、 正真正銘のロックンロールを日本で最初に オーヴァー・グラウンドでブチかました国宝級バンド、 ストリート・スライダーズ。 日和りまくりのジャパニーズ・ポップ・シーンにおいて、 彼らほど自らの姿勢(ロック魂)を貫き通したアーティストがいただろうか。 ゆえに00年の解散劇は非常に残念であった。 ローリング・ストーンズへのオマージュを高らかに宣言するバンドは日本中に数多くいる。 しかし、そのほとんどがフェイクだ。 ヘタレな歌謡曲と融合してみたり、胡散臭い80'sな文脈で鳴らしてみたり、 訳もわからずリスペクトしてみたりと……。 その点、スライダーズの鳴らす音は、もうかなり首尾一貫していた。 2本のギターがめちゃくちゃスリリングに絡む様、 ハリーのR&Bフレイヴァーに富んだ泥臭く無骨なヴォーカル・スタイル、 シンプルだが着実にグルーヴを生み出すリズム隊……。 どこから、どう聴いてもストーンズなのだ。 で、やはりそこがカッコいい。 そのまったく迷いがない骨太サウンドに、 本物のロックを希求する音楽リスナーは心から酔いしれたのであった。 日本のロックの歴史においてこれほどまでストーンズのウネリを具現化したバンドは、 村八分と彼らぐらいであろう。 .