加山雄三 | ja

加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年(昭和12年)4月11日 - )は、日本の俳優、シンガーソングライター、タレント、作曲家、ギタリスト、ピアニスト、画家。本名・池端 直亮(いけはた なおあき)。 ニックネームは若大将。作曲家としてのペンネームは弾厚作。血液型A型。 父は俳優の上原謙(池端清亮)、母は女優の小桜葉子(池端具子)。妹は池端亮子。 母方には明治の元勲・岩倉具視がいる(具視の玄孫が加山)。 神奈川県横浜市神奈川区幸ヶ谷の家に生後8ヶ月まで、次の東京都大田区田園調布には1歳9ヶ月までいた。 覚えているのは神奈川県茅ヶ崎の家からである。 海と茅ヶ崎駅の中間辺りにあって平屋の日本家屋だった。 お手伝いさんは必ず2人はいた。 茅ヶ崎市の実家には31歳で結婚するまで過ごした。 慶應義塾高等学校から慶應義塾大学法学部政治学科へ進み卒業後の1960年春に東宝へ入社。 同年『男対男』で映画デビュー。 当時、同じく有楽町にあった渡辺プロにも一時期在籍。 1961年、「夜の太陽」で歌手デビュー。NHK『NHK紅白歌合戦』出場17回。 代表曲多数。後のフォークソングやニューミュージック全盛時代に先立つ、日本におけるシンガーソングライターの草分け的存在であり、また日本ではじめて多重録音を手がけた歌手でもある。 ソングライターとしてのペンネームは、加山が尊敬している團伊玖磨と山田耕筰を足して2で割った弾厚作(だんこうさく=ドン・コサック)であり、同名義で作曲(稀に作詞もある)している、日本テレビ系列の『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』のテーマソングである「サライ」・「勇気のカタチ 〜私を変えてくれたあなたへ〜」は谷村新司が代表作詞し、加山が作曲したものである。 1965年12月に映画『エレキの若大将』主題歌として発売された「君といつまでも」は350万枚の大ヒットになり、1966年の第8回日本レコード大賞の大本命とされていたが、結局大賞は同曲に比べ売り上げ面で劣る橋幸夫の「霧氷」が受賞することとなり、「君といつまでも」は特別賞に留まる。 俳優としてはそれまでの宝田明に代わって東宝の若手看板スターとして大活躍、娯楽映画の『若大将シリーズ』が大ヒットし代表作となるが、一方で黒澤明、成瀬巳喜男、岡本喜八といった名匠の作品にも多く出演している。ブロマイドは女学生を中心に爆発的な売れ行きを記録した。 1965年、神奈川県茅ヶ崎市にパシフィックホテル茅ヶ崎を開業した。 しかし、ホテルは1970年に倒産し、加山は父の上原とともに巨額の負債を抱えた。 加えて、女優松本めぐみとの駆け落ち同然の結婚が世間を騒がせ、1969年の『フレッシュマン若大将』以降低迷した同シリーズが1971年に終了、映画出演の減少もあいまって、かつてない不遇の時代を迎える。 その後、ナイトクラブ、キャバレー回りをするもギャラはほぼ全額借金の返済に充てられ質素な生活へと追い込まれるが、活動の主軸をテレビに移し『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』(NET→テレビ朝日系)を始めとするバラエティ・『大追跡』『ぼくの妹に』などのテレビドラマ・ドラマの挿入歌である「ぼくの妹に」のヒットで徐々に息を吹き返す。 加えて「理想の父親」と呼ばれるほど世間からの好感が高く、ヤマザキナビスコのクラッカー「プレミアム」で家族全員でCM出演をするほど、「理想の家族」としても認知度が高い。 1986年 - 1988年まで『NHK紅白歌合戦』で3年連続で白組司会を務めた。 1993年にギターのロールスロイスと呼ばれるアメリカのMosrite(モズライト)社よりマリンブルーと『若大将シリーズ』で皆の憧れの的だった白の2色にファズを搭載した加山雄三モデルギターが発売された。 1997年4月23日には、加山の60歳の誕生日を祝って石井竜也ら加山を慕う豪華メンバーが集まり、『60 CANDLES』というトリビュートアルバムが発売された。 1998年3月21日、静岡県賀茂郡西伊豆町堂ヶ島に「加山雄三ミュージアム」開館。 現在では、タレントやコメンテーターとしても活躍している。 .
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サライ(原曲歌手: 加山雄三,谷村新司)
幸せは誰に来るの
君といつまでも 1965
君といつまでも
美しいヴィーナス
旅人よ
夕日は赤く
北風に
海・その愛1976
夜空の星
お嫁においで
お嫁においで 2015 feat. PUNPEE
恋は赤いバラ
信じでくれよ
夜空の星
時を越えて
白い砂の少女
蒼い星くず
霧雨の舗道
霧雨の舗道
ブラック・サンド・ビーチ
蒼い星くず - 1966
君が好きだから - 1965
美しいヴィーナス