The Kazoo Funk Orchestra | ja

FUNKY MONKEY BABYS(ファンキー・モンキー・ベイビーズ)は、日本のヒップホップグループである。メンバー全員が東京都八王子市出身。2004年結成。所属レコード会社はドリーミュージック。それぞれシングルのジャケットとプロモーションビデオに芸能人を起用することで話題を呼んでいる。実は英語の“BABYS”はスペルミスであり、“BABIES”と綴るのが正しい。だがそれも意図的なものである。通称ファンモン。 .
染谷と宮田によりバンドの原型が2000年に結成され、2001年から本格的な活動を開始した、ヴォーカル、ギター、ベース、ドラム、パーカッション、フルートからなる7人組。47全都道府県でのライヴを達成した日本国内はもちろん、南アフリカ、アジア各国など海外も含む年間100本を超えるライヴで世界所狭しと駆け回る生粋のライヴバンドである。ヴォーカル染谷西郷(染谷は母親:南アフリカ人バレエダンサー、父親:日本人フラメンコギタリスト)の故郷南アフリカ仕込みのビートフルな音楽に、染み入るリリックとメロディーが混ざり合って生まれるFUNKISTミュージックは、ジャンルの壁を超えたオリジナルFUNKISTスタイル。日常の些細な物語から世界中の様々な問題までを、あくまで等身大の自分達で叫び続ける暖かなその音楽は、笑顔あり涙あり、聴く人の心をつかんで離さない魅力に溢れている。そんな彼らのライヴは人と人とを繋げ、老若男女問わず、あらゆる国境さえも超えられる程の熱い想い、地球規模の大切なメッセージを伝えてきた。2007年 02月に発売したシングル「白い世界」は、TOWER RECORDS渋谷店J-INDIESチャート2週間連続1位を獲得し、またオリコンインディーズチャートでも14位にランクイン。2008年4月にはインディーズながら渋谷AXワンマン公演を大成功に導き、そのステージでメジャーデビューの発表を行った。 2008年7月、メジャーデビューシングル「my girl」を発売。雑誌「ぴあ」の CD満足度ランキングでは、並居る競合を差し置いて新人ながら異例の1位を獲得した。12月、セカンドシングル「BORDER」を発売。この曲はTBS系テレビ全国ネット「CDTV」の12月度オープニングテーマに抜擢され、また各地のFM局でのヘヴィーローテーションを獲得するなど、話題は一層広がっていった。2009年2月18日、ついにメジャーファーストアルバム「SUNRISE 7」を発売。東京スカパラダイスオーケストラのホーン隊、旧知の仲の O.S.DやLoco-passionといった在阪のバンド、そして収録楽曲のインタールード(導入)部には、なんと下條アトム氏が参加するなど楽曲も遊びも本気で臨んだ「SUNRISE 7」で、FUNKISTの全貌が明らかになった。4月にはバンド2度目となる南アフリカツアーを敢行。また年初より開始した「FUNKIST CUP」と銘打った2マンライヴ企画は、4月には1年ぶり2度目となる渋谷AXワンマンライヴも挟んで継続されている。夏には多数のフェスに出演し、それらのステージでも披露され大いに会場を湧かせた楽曲「ムーンライズ カーニバル」を、サードシングルとして9月に発売。更に現在週間少年マガジンにて大人気連載中の漫画「FAIRY TAIL」が10月からアニメ化されるにあたりそのオープニングテーマという大役を任され、 12月2日に4枚目のシングルとして「Snow fairy」を発売した。明けて2010年。3月10日に発売したシングル「MAMA AFRICA」は、Leyona、Latyr SyとのドリームコラボによるPUMA(R)"AFRICA CELEBRATION"キャンペーンのテーマソングとなる。同日には昨年4月に敢行された南アフリカツアーのライヴ&ドキュメントDVD作品「South Africaに Thank Youツアー」も発売した。さらに4月28日、2度目の抜擢となる「FAIRY TAIL」のオープニングテーマ「ft.」と、TBSテレビ系の人気サッカー番組「スーパーサッカー ~J~」のエンディングテーマとなった「ピースボール」との両A面シングル「ft. / ピースボール」を発売。そしていよいよ、満を持したセカンドアルバム「FUNKIST CUP」が6月16日(W杯南ア大会開催中!!)に発売となる。 .
イエロー・マジック・オーケストラ(Yellow Magic Orchestra)は、1978年に結成された日本の音楽グループ。略して「YMO」(ワイ・エム・オー)と称する。 YMOはテクノの歴史の中でも初期のグループであり(当時は具体的に「テクノ」というジャンルはなく、それは後に定着したものである)、また彼らの音楽にはロックの要素もあったことから、現代のようなテクノにカテゴライズできるとは簡単には言い切れない。しかしここでは、日本のテクノ最初期のグループとして紹介する。 細野晴臣(ベース) エイプリル・フール、はっぴいえんど、ティン・パン・アレーを経て、YMOを結成。YMOのリーダー・プロデューサーであり、シンセサイザーとコンピュータを用いるYMOの音楽スタイルを打ち出した。宗教や民俗学など神秘主義的な趣味があり、それらもYMOに影響を与えている。ライブではほぼベーシストに徹し、特筆すべきはシンセサイザーをベース代わりに演奏していたことである(ただし、曲によってはエレクトリックベースを使用している部分もある)。YMO散開後は特にアンビエント、エレクトロニカ等のジャンルを取り入れている。 高橋幸宏(ドラム・ヴォーカル) サディスティック・ミカ・バンド、サディスティックスを経てYMOに参加。YMOをきっかけに機械のビートと同期してドラムを演奏した最初期のドラマーである。また、ライヴではドラムを叩きながら自らヴォーカルをとるという異色なスタイルで演奏していた。ファッションデザインの技能を生かしてYMOではステージ衣装のデザインを手掛けた。YMO散開後はソロ活動とともに、様々なミュージシャンとのコラボレーションやプロデュース業を展開している。 坂本龍一(キーボード) YMOで唯一、音大出身のミュージシャン。スタジオミュージシャンとして活動した後、YMOに参加。YMOでは松武秀樹とともにレコーディングにおいて楽曲を構築する重要な役割を果たし、またライヴでは楽曲のアレンジを一手に引き受けた。YMO散開後は映画音楽で成功するなどソロ活動を展開している。 担当パートについては主に演奏されるものであり、一部のレコーディングやライブ、TV番組では上記以外のパートを担当することもあった。 イエロー・マジック・オーケストラという名称は、細野が70年代後半あたりに提唱していたコンセプトである「イエローマジック」から来ている。これは白魔術(善や白人などの象徴。特に白人音楽)でも黒魔術(悪や黒人などの象徴。主に黒人音楽)のどちらでもない東洋人独自の音楽を作り上げるとして、魔術の色を人種の色にかけて提唱したのが黄色魔術(イエローマジック)である。細野がYMO以外で「イエローマジック」の名前を使用しているものとしてはティン・パン・アレーの曲「イエローマジックカーニヴァル」、細野のアルバム『はらいそ』の作成者名義「ハリー細野とイエローマジックバンド」が挙げられる。また坂本のアルバム『千のナイフ』のライナーノーツの細野の寄稿文でも、イエローマジックについての記述がある。 1980年代初頭に巻き起こったテクノ/ニューウェーブのムーブメントの中心にいたグループの一つであり、シンセサイザーとコンピュータを駆使した斬新な音楽で、1978年に結成されてから1983年に「散開」(解散)するまでの5年間で日本を席巻した。活動期間中には海外でのレコードリリース、及びコンサートツアーも行っており、世界に受け入れられた数少ない日本の音楽グループであると一般的に認知されている。1993年に一時的に「再生」(再結成)しており、また2007年にも再び再結成している。 当時、シンセサイザーやコンピュータを駆使した音楽としては既にドイツのクラフトワークが有名であったが、それらの技術を用いた音楽はまだ珍しい時代であった。そんな中で現れたYMOの音楽は、日本において当時の若い世代を中心に熱狂的に受け入れられた。また英米においても少なからぬ音楽的影響力を残しており、例えば「U・T」(アルバム『BGM』収録)はトランス・テクノ、「ライオット・イン・ラゴス」(厳密には坂本のソロ『B-2ユニット』の曲だが、'80年のYMOのライブで好んで演奏された)はヒップホップのそれぞれ始祖であると、後に英米で評されている。 YMOはそのファッションも特徴的であった。特に、初期のアルバムジャケットやライブでメンバーが着用していた「赤い人民服」(高橋のデザインによる、大正時代のスキー服をイメージした衣装であったが、その容貌が中国の人民服と似ていたために、一般的に「赤い人民服」と呼ばれるようになった。メンバーが人民帽を着用していたのも一因かと思われる)、そして、すっきりとした短髪、かつもみあげの部分を剃り落とす、当時の若者の間でも流行した「テクノカット」と呼ばれる髪型(特に、初期では刈りあげ+もみあげ無し)の2つは、YMOのビジュアルイメージとして一般に広く認知されており、彼らのトレードマークであったと言えるだろう。 1990年代以降に活躍する日本のミュージシャンの中に、YMOの音楽に影響を受けたと自称するミュージシャンが数多く現れた。彼らは「YMOチルドレン」と呼ばれることがある。その代表的アーティストは槇原敬之、宮沢和史(THE BOOM)、高野寛、テイ・トウワ、電気グルーヴなど。 .
Funkin’ Matt is an upcoming producer & DJ from Norway. His style can be described as everything with a good groove or beat, often with a creative twist and contrast. He’s most known for his remix for Gregor Salto’s BouncingHarbour, but also for his original tracks like Shake it Don’t Break it & Hit Me. So far his tracks have been featured on compilations by Roger Sanchez/Laidback Luke, and has been played on BBC1 in the UK. Matt got his first breakthrough in the start of 2007 when he got in touch with Sidney Samson, which started to play his...