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CHEMISTRY(ケミストリー)は、日本のツインボーカルによる男性デュオ歌手。所属レコード会社はSME系列のデフスターレコーズ。所属事務所はニューカム(ソニー・ミュージックアーティスツ傘下)。中国語でのミュージシャン名表記は「化学超男子」。 テレビ東京のオーディション番組『ASAYAN』(当時司会:ナインティナイン、永作博美)が行った男性ボーカリストオーディションで選ばれた2人により結成。2人の声が「音楽的化学反応」を起こすことを期待して名づけられた。 メンバー 堂珍 嘉邦(どうちん よしくに、1978年11月17日 - 、身長174cm、血液型:O) 川畑 要(かわばた かなめ、1979年1月28日 - 、身長172cm、血液型:A) 来歴 1999年8月、「ASAYAN」の企画「男子ボーカリストオーディション」の1次審査に川畑・堂珍共に大阪会場で参加し通過。その後、最終選考まで進出。2000年12月15日、オーディション最終選考の一環で発売された仮デビューシングル『最後の夜』(当時のユニット名は「ASAYAN超男子。川畑・堂珍」)が、オリコン初登場9位を記録。2001年1月1日、オーディション最終選考で川畑と堂珍の2人が選ばれる。5人の中から最も支持の多い組み合わせ(DUO)を選ぶ企画であったが、当初から堂珍の人気が特に高く、堂珍と誰の組み合わせがベストか、という形になった。その後、2001年1月21日の放送でユニット名が「CHEMISTRY」に正式に決定。 音楽活動 2001年3月7日、シングル『PIECES OF A DREAM』でデビューし、発売6週目でオリコン1位を獲得。これはジャニーズ事務所所属のアイドルを除けば男性ボーカルグループでは21年ぶりという快挙であった。その後ロングヒットとなりミリオンセラーを達成した。同年11月には初のオリジナルアルバム『The Way We Are』を発売、247.1万枚の売上を記録する。このアルバムのセールスで、オリコンに於ける男性アーティストのデビュー・アルバムとしての歴代1位記録を樹立した。また、この年には『第52回NHK紅白歌合戦』に初出場し、この年の紅白最高視聴率52.4パーセントを記録している。 2002年1月、当時デビュー前だったSoweluと共に日本代表として、韓国のアーティスト(Brown Eyes、リナ・パーク)と合同ユニット「Voices of KOREA/JAPAN」を結成。その後3月にはサッカーW杯日韓大会のテーマ曲を収録したシングル『Let's Get Together Now』を発売。5月30、31日にソウルで開催されたW杯前夜祭・開会式にも参加し楽曲を披露している。 2002年12月、シングル『My Gift to You』発売。世界初の着うたソングに起用される。翌2003年1月には2作目のオリジナルアルバム『Second to None』を発売。オリコン週間アルバムチャートで2週連続の第1位を獲得。また、ミリオンセールスも記録し2003年年間アルバムランキングでも1位を獲得した。これにより、オリコンに於ける男性アーティストとしては初となるデビューアルバムからの連続での初登場・ミリオン突破記録を樹立した。 その後2003,2004年にかけシングルを3枚リリースし、2004年2月には3作目のオリジナルアルバム『One×One』を発売した。また2005年1月にはバラード曲を中心に収録した企画アルバム『Hot Chemistry』を30万枚限定発売。ともにオリコン初登場1位を獲得し、これにより1stアルバムからの連続初登場首位記録においてKinKi Kids(6作連続)に次ぐ歴代2位(5作連続)を記録した。 2005年10月、Crystal Kayとのコラボレーション楽曲「Two As One」を「Crystal Kay×CHEMISTRY」名義でシングルとして発売。翌月に発売された16thシングル『almost in love』では、「CHEMISTRY×Crystal Kay」名義による別バージョンを収録している。更に同11月には1年9ヶ月ぶり、4作目のオリジナルアルバム『fo(u)r』を発売、週間最高2位を獲得した。 およそ10ヶ月の充電期間の後、槇原敬之プロデュースの『約束の場所』といったシングルを2ヶ月連続リリース。2006年11月にはそれらを先行シングルとする初のベストアルバム『ALL THE BEST』を発売。このアルバムにはボーナス・トラックとして、松尾潔を再びプロデューサーに迎えての新曲「Top of the World」も収録された。 2008年1月、2年2ヶ月となるオリジナルアルバム『Face to Face』を発売。オリジナルアルバムとしては自身最多となるシングル6作が収録されたアルバムとなった。 .
バックストリート・ボーイズ(Backstreet Boys)は米国の4人組ポップ・アイドル。1995年デビュー。アルバム総売上7500万枚を超えるスーパーボーイズグループ。代表曲は『アイ・ウォント・イット・ザット・ウェイ』(I Want It That Way)、『シェイプ・オブ・マイ・ハート』(Shape Of My Heart)、『エヴリバディ(バックストリーツ、バック』(Everybody(Backstreet's Back)など。略称はBSB。日本では主に「ビーエスビー」や「バックス」と呼ばれている。 来歴 1993年4月20日に結成し、1995年に『ゴーイン・オン』(We've Got It Goin' On) でデビュー。グループ名は結成当時オーランドで人気のあったフリー・マーケット「バックストリート・マーケット」(Backstreet Market)から取ったもの。 リードヴォーカルは各自とっているが、ややニックとブライアンとA.J. が多い傾向にある。メンバーの出身地は様々だが、グループとしてはフロリダ州が本拠地。ダンサブルなポップサウンドと、アカペラもこなす実力で、ヨーロッパや日本で絶大な人気を得た。 アメリカでは「ノー・ファン時代」も経験したが、ヨーロッパの人気をひっさげ本国に凱旋。本国でのデビューアルバム(日本やヨーロッパで発売された1st『バックストリート・ボーイズ』と2nd『バックストリーツ・バック』の二枚組)を発売。勢いに乗ってアメリカツアーが行われようとしていた矢先の1998年にブライアンの持病であった心臓病が悪化し、手術の先延ばしはもう出来ないとの見解から心臓手術を受ける。執刀医はアーノルド・シュワルツェネッガーの心臓手術も担当した医師であり、手術は無事に成功をした。この年は、メンバーのハウィーの姉キャロライン、BSBサウンドをデビュー当時から一緒に作ってきた音楽プロデューサーのデニス・ポップが病気で他界しており、「天国と地獄を味わった時期」と『ローリング・ストーン』誌のインタビューに答えている。 その後1999年にアルバム『ミレニアム』を発売する。このアルバムは彼らにとっての、初の全米アルバムチャートNo.1に輝いた作品となった。さらに次作の『ブラック・アンド・ブルー』も全米アルバムチャートでNo.1に輝いた。日本でもこれらの2作品は連続ミリオンヒットとなり社会現象に発展し、名実ともに史上最大のスーパーグループとなった。2001年には初のベストアルバムとなる『グレイテスト・ヒッツ- チャプター・ワン』をリリースし、日本では150万枚を超える空前のヒットを記録する。 ニックのソロ活動などを経て、2004年に3年ぶりとなる来日公演を行う。2005年にオリジナルアルバムとしては5年ぶりのアルバム『ネヴァー・ゴーン』をリリース。全米では再びミリオンセラー、日本でもスマッシュ・ヒットを記録した。 2005年から2006年にかけては『ネヴァー・ゴーン』の発売に合わせた世界ツアーを行い、日本でも東京・大阪でライブを行い好評を博した。 その他では、すでにソロ経験のあるニックを追って、ブライアンも2006年6月にソロアルバム『ウェルカム・ホーム』を発売。A.J. もソロ活動を開始する予定。ソロ活動以外にもメンバーはチャリティやミュージカルなどさまざまな場面で活躍している。 2006年6月23日、ケヴィンが脱退。その理由は、「メンバーにいる限り達成できない夢を叶えるため」だという。 2007年には『ネヴァー・ゴーン』から2年振りとなる待望の新作『アンブレイカブル』が10月24日に日本先行で発売された。この作品はグループ初となるオリコンチャート2週連続首位を獲得したが、全米では7位、全英では21位など世界的なセールスは大きく失敗に終わった。 A.J. は毎回来日する度に、親友のTOKYO HIROにタトゥーを入れてもらっている。ニックやブライアンも彼のデザインがお気に入りで入れてもらっているが、大半の時間をA.J. に取られるので「あまり入れてもらえる時間がない」と嘆いている。 2008年2月16,17日にワールドツアー日本公演のため来日。東京ドームでライブをし、大成功を収めた。 .
Vocal : 夕霧 Bass : Rei Guitar :なお Guitar : まゆ Drums&Piano : 風弥~KAZAMI~ 2007年3月結成。 同年6月5日、高田馬場AREAでのデモンストレーションライブで本格的に活動を開始する。6月18日SHIBUYA O-WESTでの初ライブと8月の高田馬場AREAでの初主催イベント“咲乱ストリップ”にて会場限定1stデモ音源を発売、即完する。Vo,夕霧のハイトーンボイスと抜群のメロディーセンス、メンバーそれぞれのビジュアルの高さは他のバンドと明らかに一線を画し、瞬く間にその人気に火が付いた。 2008年2月13日、結成からわずか1年足らずで発売した1st Single+DVD「ダンデライオン」はなんと予約段階で1stプレスの規定数を終了。急遽2ndプレスを発売するも、これも即完し、DaizyStripperは初作品で見事オリコンインディーズチャート第1位を獲得する。結成からわずか1年足らずの快進撃で全国的にもその名を響かせた彼らは、2008年5月、味の素スタジアムで開催されたhide追悼イベント「hide memorial summit」に出演。3曲だけの演奏にも関わらず、会場に居た3万人の心を鷲掴みにし、国内のみならず、国外から訪れていた観客からも高い評価を得た。同年6月に発売した2ndシングル「CROSS」はオリコンインディーズチャート第2位を記録。9月には東名阪での初ワンマンライヴを大成功に収め、10月にリリースしたシングル「TRUTH」はオリコンインディーズチャートで再び第1位を獲得した。 2009年3月にはO-WESTでのワンマンライブで行い、6月には3rdシングル「Dearest」をリリース、オリコンインディースチャートで3位を記録した。7月には全国8箇所を巡るワンマンツアーを敢行。各地でチケットはSOLD OUTとなり、ツアーファイナルの恵比寿リキッドルーム公演では、バンドとして一回りも二回りも成長した姿で東京に戻りファンを魅了した。10月には、世界中から5万人を動員して行われた幕張での世界初の“ヴィジュアル系”ロックフェスティバル「V-ROCK FESTIVAL’09」に出演。11月には待望のミニアルバム「THE BEAUTY」をリリース。インディーズアルバムチャート2位を記録する。12月にはさらにステージをひとつ登り、赤坂BLITZでのワンマンライブを行い、集まった1,200人のファンの前に2009年の成長を見せつけた。 2010年は3月にシングル「春めく僕ら」(インディーズチャート3位)をリリース。このシングルを引っ提げ2度の追加公演を含む8都市10公演のワンマンツアー「LOVE AFFAIR TOUR」を敢行。東京・九段会館での初ホールワンマンも実現した。この年の8月にはファンもメンバーも待ちに待ったフルアルバムをなんと2枚同時発売。「BIRTH」と「LOVE」と題されたこの作品は、ファンと一緒に歩んだこれまでの彼らの軌跡と、高い音楽性を証明した渾身の作品。9月にはそれぞれのアルバムタイトルを冠し、日本青年館、SHIBUYA-AXで2Daysワンマン公演を開催。これまでのDaizyStripperの活動にひとつの節目を付ける思い出深い公演となった。 結成から3年、DaizyStripperの魅力はまだまだ溢れて止まらない。 .
Stratovarius (ストラトヴァリウス) は、1984年にフィンランドのヘルシンキで結成されたヘヴィメタルバンド。アルバム『Destiny』はフィンランドのナショナルチャートで1位を獲得、『Infinite』がゴールドディスクを獲得している。ヨーロッパと南米で絶大な人気を誇る。 1982年ヘルシンキでトゥオモ・ラッシーラ(Dr.Vo)、スタファン・ストロールマン(G)、ジョン・ヴィヘルヴェ(B)の3名で結成。はじめは『BLACK WATER』というバンド名で活動しており、音楽性もブラックサバスやオジー・オズボーンに影響を受けたハードロックバンドであった。1984年末にベーシストのジョンが脱退、ユルキ・レントンが加入。1985年にリーダーのラッシーラが、ギターのストラトキャスターとヴァイオリンのストラディヴァリウスを掛け合わせてバンド名をストラトヴァリウスとする。余談だが、Kraftwerkに同名の曲が存在する。ちなみに、のちに加入するティモ・トルキ(当時G,Bass,Vo)のメイン使用楽器はストラトキャスターではなく、時期により違いはあるが、ストラトタイプをベースとしたソロイスト系のギターを使用することが多い。 1985年にギタリストのスタファンが脱退、代わりにティモ・トルキが加入。今までヴォーカルも担当していたトゥオモの音域が狭いため、トルキがひとまずギター兼ヴォーカリストとなる。1986年にトルキの兵役のため1年間の活動停止をはさみ、フィンランド本国だけでなくスカンジナビア半島でライブ活動を行っていた。 1987年にCBSフィンランドに送ったデモが目に止まり、1988年『Future Shock』でシングルデビュー。この頃、キーボーディストのアンティ・イコーネンが加入。1989年はシングル『Black Night』とファーストアルバム『フライト・ナイト』をリリースするが売り上げはさっぱりであった。当時の音楽性はリッチー・ブラックモアやレインボー、バロック音楽に影響を受けたトルキの加入でネオクラシカルメタル寄りである。 1991年、CBSフィンランドから契約を切られ、メンバーが自費でスタジオ代を払いデモ製作をする。1992年始め、レコード会社移籍の際にベーシストのユルキが脱退し、ヤリ・ベヘムが加入するが、殆どプレイすることなく翌年に解雇されている。ブルーライトレコードからアルバム『Stratovarius II』をフィンランド国内のみで1000枚ほどリリース。10月、ドイツのShark Recordsから『Stratovarius II』をジャケットを代えて2ndアルバム『トワイライト・タイム』としてヨーロッパ全土で発表。翌1993年、シングル『Break the Ice』を発表。日本国内では『Twilight Time』が輸入版チャートベスト10に5ヶ月間ランクインし、1993年の輸入版年間チャート1位となった。日本版は1993年6月にビクターエンタテインメントより発売。 1993年、3rdアルバム『ドリームスペース』のレコーディング途中より、ベーシストのヤリ・カイヌライネンが加入。1994年2月、3rdアルバム『ドリームスペース』日本でリリース。ヨーロッパではノイズレコード所属のT&T Recordsに移籍。5月には日本未発売だった1stアルバム『FRIGHT NIGHT』が日本でもリリースされ、6月に初来日公演が行われた。トルキは歌う事をやめギターに専念するために音楽雑誌でヴォーカリストを募集し、ティモ・コティペルトが加入。翌年リリースされた4thアルバム『フォース・ディメンション』はよりメロディックパワーメタル色を濃くしてゆく。アルバムから『Wings of Tomorrow』がシングルカット。 1995年、来日公演も行ったFourth Dimensionツアー終了後、キーボードのアンティとオリジナルメンバー・元リーダーでドラムスのラッシーラが、新たなリーダーであるトルキから解雇される。二人の代わりに加入したのがイングヴェイ・マルムスティーンやDioなどで活躍していたスウェーデン人キーボーディストのイェンス・ヨハンソンとメコンデルタやレイジなどで活躍していたドイツ人ドラマーのヨルグ・マイケルである。トルキは二人と面識があったわけではなく、今回の件で初めて二人の連絡先を調べデモテープを送ったところ加入の了解をもらった。1996年、5thアルバム『エピソード』発表。コティペルトの表現力上達、それぞれ名手として名の知れたヨルグとイェンスの力により、音楽性により一層深みが出た作品となる。『ウィル・ザ・サン・ライズ?』と『ファザー・タイム』がシングルカット。 1996年、6thアルバム『ヴィジョンズ』を発表。コティペルトの作詞が積極的に採用されている。このアルバムはヨーロッパや日本で大ヒット。アルバムに伴うツアーも大成功を収めた。翌年発表されたヨーロッパツアーを収録した初の2枚組ライブアルバム『ヴィジョンズ・オブ・ヨーロッパ』では観客の熱狂ぶりをうかがうことができる。アルバムからシングルカットされた『ブラック・ダイアモンド』と『キッス・オブ・ジューダス』はストラトヴァリウスの代表曲となり、ライヴでかかせない曲となった。同年、ニュークリア・ブラストに移籍のため、ノイズレコード時代の初のベストアルバム『ザ・パスト・アンド・ナウ』を発表。 1998年、7thアルバム『デスティニー』発表。フィンランドチャートで1位を獲得しているヒット作となり、アルバムに伴うツアーも成功している。翌年、各国のボーナストラックやライブ音源でできたコンピレーションアルバム『The Chosen Ones』もフィンランドチャートで7位に入り、名実共にフィンランドのトップバンドとなった。『It's a Mystery』が一部の国でシングルカットされている。2000年発表の8thアルバム『インフィニット』はフランス特別盤には4曲もボーナストラックがついており、ヨーロッパでの絶大な人気を現している。やや暗い楽曲が多かった『ディスティニー』からのシングルカットは『SOS』だけであったが、キャッチーな曲が多い『インフィニット』からはライブでの定番曲である『ハンティング・ハイ・アンド・ロー』『ア・ミリオン・ライト・イヤーズ・アウェイ』がシングルカットされている。『Infinite』はフィンランドでゴールドディスクに輝き、INFINITE FINNISH TOUR leg2の最終日である12月25日にゴールドディスク授与式が行われた。 2000年はソナタアークティカ、ラプソディー・オブ・ファイアと共にツアーを行っている。日本のみのベストアルバム『14 Diamonds』が同年リリース。このツアーの後、バンド活動を一時休止し、この間トルキとコティペルトはそれぞれソロ活動を行った。 2003年1月、9thアルバム『エレメンツ・パート1』発表。以前の作品よりも大作が多くシンフォニックメタルやプログレッシブメタル調の楽曲が多い作品となった。本来は同年11月リリースの10thアルバムの『エレメンツ・パート2』と共に2枚組の予定であったが、レコード会社より難色を示されたため1枚ずつのリリースとなった。 地球や人間の要素である火・水・風・土をコンセプトにしたアルバムであり、それぞれPt.1は「火と水」Pt.2は「風と土」がテーマとなっている。トルキによる思想や人生観、生きることを描いた歌詞がほとんどであり、全曲トルキによる作詞・作曲である。 同年12月、ヨルグとコティペルトがトルキとの不仲により脱退。コティペルトは自分の楽曲がアルバムに採用されない不満をBurrn!誌のインタビューでもらしている。2004年1月、後任としてイェンスの兄であるハンマーフォールのドラマーアンダース・ヨハンソンのサポート加入が伝えられるが1ヶ月もしないうちにアンダースは離脱。ヴォーカルはカタリーナ・ウィーアラー(通称ミスK)という口から血を流したブラックメタル風のメイクをした女性が加入。しかしファンからは公式サイトに今までのストラトヴァリウスの音楽性と全く違う雰囲気の女性ヴォーカルの加入を批判する声が寄せられた。 2004年はレコード会社との契約がまだ残っていたためにヨルグとコティペルトは脱退後も幾つかの音楽フェスティバルにストラトヴァリウスとして出演した。2月29日、スペイン・グラナダの音楽フェスティバルの翌日、トルキが路上で襲われ、カッターナイフで左肩を切り付けられ、顔に打撲を負うという事件が起きた。二人の脱退前後から公式サイトで過激な発言を繰り返していたトルキは後に躁鬱病と診断され、数ヶ月入院静養をした。2005年になり、ヨルグとコティペルトの復活宣言があり、以前のラインナップでの活動再開が発表されると、ミスKは音源発表もライブ活動もしないまま、事実上脱退ということになった。同年9月、11thアルバム『ストラトヴァリウス』発表(日本先行発売は8月)。後にトルキはこのアルバムが好きでないとインタビューで答えている。2005年秋、ベーシストのヤリが脱退。シナジーやコティペルトのソロプロジェクトのベーシストであるフィンランド人ベーシストラウリ・ポラーが代わりに加入し、ヨーロッパ・北米・日本・南米への大きなツアーが行われた。 Stratovariusのシンボルはフルール・ド・リスであったが、カナダのケベック州の州章のものに近い。(アルバムヴィジョンズからストラトヴァリウスまで使用) 2007年秋からニューアルバムのレコーディング中であり、ほぼ完成していたにも関わらず2008年3月にトルキがニューアルバムを白紙に戻し、楽曲をそのまま自らの新プロジェクトレヴォリューション・ルネッサンスで使用しレコーディングに入ると声明。ストラトヴァリウス版のデモ・ヴァージョンは7月下旬にインターネット上に流出した。その後4月3日にトルキからコティペルト及びヨルグとの不仲などの声明が伝えられ、解散宣言が行われた。2007年11月頃よりサンクチュアリ・レコードとの契約によるトルキの金銭問題やコティペルトらの不仲などが原因でバンドは空中分解状態であったようである。5月、公式サイトがイェンスのドメインとなる。残された4名の仲は良好でありバンドの存続を表明、6月には残されたメンバーにラウリの知人であるフィンランド人ギタリスト、マティアス・クピアイネンを加え、ニューアルバム製作を発表。しかし、バンド名をどうするかで揉めていた。 ティモ・トルキは初期メンバーのトゥオモ、アンティを呼び戻し、正式なラスト・アルバムをレコーディングすることを表明。5月20日にストラトヴァリウスのバンド名および過去の作品や新作からの売り上げ配分も拒否し、イェンス・ヨハンソンとティモ・コティペルトに譲る正式書類にサインしたことを明らかにした。一方、コティペルトはトルキへの敬意を表しつつも、旧メンバーを迎えてのトルキらによるアルバム製作はないと表明。10月、コティペルト・イェンス・ヨルグ・ラウリ・マティアスの新体制でストラトヴァリウスとして活動宣言。ニューアルバムのレコーディングに入った。それに対しトルキは嫌悪感を露にするコメントをしている。尚、公式サイトにてトルキ以外のレヴォリューション・ルネッサンスのメンバーとストラトヴァリウスのメンバーが交流があることを認めている。2009年5月、最新アルバム『ポラリス』を発表。長年使用されたバンドロゴもシンボルマークも一新された。1曲目の『ディープ・アンノウン』がシングルカット。現在は、2008年4月から2010年1月まで、ヨーロッパ・アジア・北南米を縦断する大規模なツアーが行われており、9月には来日公演も行われた。4月、トルキはトゥオモ、アンティ、ヤリと共に『PROJECT STRATO』として『ドリーム・スペース』を再録することを発表したが、10月現在の『PROJECT STRATO』の公式マイスペースはほぼ白紙となっている。 メンバー * Timo Kotipelto ティモ・コティペルト (Vo) 1994年~2003年, 2005年~ * Lauri Porra ラウリ・ポラー (B) 2005年~ * Jens Johanson イェンス・ヨハンソン (Key) 1995年~ * Jörg Michael ヨルグ・マイケル (Dr) 1995年~2003年, 2005年~ * Matias Kupiainen マティアス・クピアイネン(G) 2008年8月~ 旧メンバー ギタリスト * Timo Tolkki ティモ・トルキ (G, Vo: 「Dreamspace」まで) 1985年~2008年 * Staffan Stråhlman スタファン・ストロールマン (G) 1984年~1985年 ベーシスト * Jari Kainulainen ヤリ・カイヌライネン (B) 1993年~2005年 * Jari...
Ján Strapec (* Trnava), známy najmä pod umeleckým menom Strapo, je slovenský rapper a freestyler. Je dvojnásobným víťazom celoslovenskej súťaže vo freestyle battli - Artattack Freestyle Battle, ktorý prvýkrát vyhral v roku 2006. V roku 2007 vydal EP MC, ktorý vedel priveľa, v roku 2008 mixtape 50:50, na ktorom spolupracoval DJ Spinhandz a v roku 2012 vydal s producentom Emeresom album 23. Na Radio_Head awards 2012 bol nominovaný v dvoch kategóriach - Nováčik roka a Najlepší album v kategórii Hip-Hop, Rap a R&B. .