木村拓哉 | ja

木村拓哉(きむら たくや、1972年11月13日 - )は、日本の歌手、俳優であり、男性アイドルグループSMAPのメンバー、ジャニーズ事務所に所属。血液型O型、身長176cm。 イメージカラーはレッド。東京都出身、大阪府および千葉県育ち。妻は歌手、タレントの工藤静香。 来歴 生まれは東京都だが、小学校入学直前まで大阪府箕面市に住み、小学校以降は千葉県千葉市で育つ。 1988年、千葉県立犢橋高等学校入学。 1988年4月、スケートボーイズの12人のメンバーの中から中居正広、稲垣吾郎、森且行、草彅剛、香取慎吾らと共にSMAPを結成。 1989年、東京都立代々木高等学校定時制編入。 1991年、東京都立代々木高等学校定時制卒業。 1991年9月9日、SMAPのメンバーとして『Can't stop!! -LOVING-』でCDデビュー。 1993年、テレビドラマ『あすなろ白書』の取手治役でブレイク。 1994年、テレビドラマ『若者のすべて』の陰のある青年(上田武志役)を演じ好評を得る。 1994年、雑誌『anan』の好きな男ランキングで1位を獲得。以後、2008年現在まで15年連続1位を獲得している。 1995年、テレビドラマ「人生は上々だ」で大上一馬役を演じる。ダウンタウンの浜田雅功と共演。 1996年、テレビドラマ『ロングバケーション』で連続ドラマ初主演、最高視聴率36.7%を記録し、人気を不動のものとする。 1996年、写真集『木村拓哉』(撮影/横須賀功光)を出版。尚、この写真集にはジャニーズ事務所は一切関与していない。 2000年、テレビドラマ『ビューティフルライフ』で最高視聴率41.3%を記録。 2000年11月23日、工藤静香との婚約会見を行い、12月5日に結婚。 2001年、2006年、テレビドラマ『HERO』で全話視聴率30%以上を記録。 2001年5月1日、長女が誕生。美しい心に育つようにと願いを込めて『心美(ココミ)』と命名。 2003年2月5日、次女が誕生。『光希(ミツキ)』と命名。 2003年、テレビドラマ『GOOD LUCK!!』で最高視聴率37.6%を記録。 2003年、フォトエッセー『開放区』を出版。 2004年、映画『2046』でカンヌ国際映画祭に出席。この時、平服のスーツ姿で現れ、それまでの「男性はタキシードで出席する」という不文律を打ち破り、話題となった。 2004年、映画『ハウルの動く城』で主人公ハウル役を演じる。 2006年、写真集『%パーセンテージ』を出版。 2006年、初オフィシャルDVD『一分TAKUYA KIMURA』発売。 2007年、カンヌ国際映画祭に出席。「カンヌの一般的な出席者」であるVIPとして招待されたわけではなく、一般人扱いでの出席である。[1] 2008年、テレビドラマ『CHANGE』で最高視聴率27.4%を記録。 人物 得意な物真似は『古畑任三郎』(余談だが木村は劇中で犯人役を2度演じている)。その他に田原俊彦、松田優作など。最近では平泉成の物真似が気に入っている(2007年、さんタクより)。 サッカー観戦、サーフィン、ダーツ、ビリヤード、釣り、カメラ、映画鑑賞、音楽鑑賞(ローリング・ストーンズ、ボン・ジョビ、エアロスミス等のファン)等、多趣味で知られる。過去スノーボードも趣味としていたが、数度の怪我により辞めた。アニメが好きで、特に『銀河鉄道999』などの松本零士作品に思い入れがあり、2002年5月27日放送の『SMAP×SMAP』では木村自身がハーロックに扮するコント「アルカディア2002」後編にて原作者の松本と共演もしている。その際、木村は当コント内で「小学校の頃の理想のタイプはメーテルだった」と答えている。また、『機動戦士ガンダム』にも思い入れがある。漫画『ONE PIECE』が愛読書で入浴中や移動中の時によく読んでいる。ただし、読むのはマンガのみであり、活字の本を読むことは全く無いという(本人談)。 長所は誰とでも話ができる。短所は気が短い(本人談)。 愛犬はラブラドール・レトリバーのボニータ。名前はマドンナの「ラ・イスラ・ボニータ」から付けられた。幼い頃に獣医師を夢見たほどの動物好きである。「君を忘れない」で共演した子犬を引き取り実家で育てたというエピソードもある。 「キムタク」という愛称について、本人は当初は女子高生の間でつけられた愛称として喜んでいたが、その後、面と向かって呼ばれるよりマスコミに取り沙汰される時に多用されることや、「キムタク」という素の自分ではない虚像が一人歩きしていると思うようになり、呼ばれることを嫌うようになる。FMVのCMでは、石田純一に「キムタ」と呼ばれ「略さないでよ」と嫌がるコント場面もある。中国でもキムタクと言う愛称は定着している(2006年11月10日の、木村拓哉のWhat's up SMAPにて判明)。近年はキムタクと呼ばれることも、人気のバロメータだ、定着しているのだと受け入れることができるようになったとコメントしている。 ジャニーズ事務所に入ったきっかけは叔母が勝手に木村の履歴書を送ったから。 学生時代は剣道部に所属。 SMAPのメンバーの中で唯一の妻子持ち。家族のことはあまり話さない。明石家さんまやサッカーの中田英寿とはプライベートでも家族ぐるみでの交流がある。 バラエティ番組に殆ど出演しないため、芸人やグラビアアイドルとの共演はほとんどないが、本人はかなりのお笑い好きである。現にビストロスマップで「はねるのトびら」のメンバーがゲストの時に、はねるのトびらのDVDを持っていると発言していた。 「惜しい」と言う言葉が嫌い(2007年1月9日ぴったんこカン・カンでテニス中本人が発言)。一方で「ヤバイ」という言葉を頻繁に使う。 『笑っていいとも!』にて一度だけ、テレホンショッキングのポスター係として登場したことがあるが、番組上では新人ADを装うというサプライズを提供したことがある(松たか子出演時)。 SMAPデビュー前萩本欽一プロデュースのアイドルグループ茶々隊 のオーディションに合格したが、萩本から「好きな食べ物何?」と聞かれたので「あ、僕おいなりさんです」と答えたら、「今日から君はおいなりくん」と萩本に言われ、おいなりくんと言われたことが意味わかんなくて、次の日からレッスンに行かなくなった、と木村本人が話した。(2009年さんま&SMAP美女と野獣のクリスマス) ドラマ 主演したドラマは1997年の『ギフト』と2010年の『月の恋人〜Moon Lovers〜』を除き全て平均視聴率20%以上を記録。1998年以降は年に1本のペースで連続ドラマに出演していたが、1999年は連続ドラマの出演はなく、2006年はゲスト出演とスペシャルドラマのみであった。 ドラマでのファッションや髪型がよく話題になり、1990年代後半には木村を真似たロン毛が大流行した。愛用のサングラスはティアドロップタイプで、100個以上所持している。 主演ドラマ『プライド』の撮影中に、エキストラの顔面にアイスパックを直撃させる事故を起こした(負傷者の診断は「口唇裂傷・歯冠破折」)。ただ、ドラマ自体は休憩中のファンサービスで起こった事故であるため、中断されることなく最後まで放送された。 主演したドラマが20%以上の高視聴率を記録している事が多い一方、主題歌にSMAPの楽曲が起用されたのは'95年の『人生は上々だ』(W主演)のみである。単独主演では起用されていない。 .