Javelin Boot | ja

1) aka Frank Heinrich. German producer with records on Cadenza, Below and Combi Int. Makes organic minimal techno with a deep feeling. 2) live drum'n bass jam band from the hague 3) Croatian band, formed in 2011, famous by their awesome covers with piano and two guitars (3 members). They are also known as Reb00t or ReBoot. Members of the band; Bartol Komadina - lead guitar, vocal Maroje Macola - piano, back vocal Martin Komadina - songwriter .
Two artists are called Bootleg. The first one is "Dayton Family" founder Bootleg, who not only made a name for himself in the Midwest hardcore rap underground as a member of the infamous Flint, MI group, but also as a solo artist. Bootleg is a band of Holmes Beach, Anna Maria Island - Florida. With a full influence of Bob Marley and Sublime, joined many fans from all corners since its formation. A sound that reflects well the reality experienced by the band in their homeland. Formed by members: Mark Pelham on vocals / guitar, Mike on drums Fender, Robyn...
1. BOOTS (born Jordy Asher) is a Soul and R&B producer, rapper, singer, songwriter, video director and multi-instrumentalist who first made forays into music as half of the musical duo Blonds, and into popular music as Beyoncé's producer. After trying out a string of lesser-known groups including Blonds, Young Circles, Blond Fuzz and Stonefox, he signed to Jay Z's label Roc Nation in June 2013 to eventually release his original solo music. Boots' meteoric rise to fame came about when Beyoncé's self-titled album debuted at no. 1 on the charts, with 85% of the album featuring his production skills and...
Moon Boots entered the world in the mid-1980s via Cape Canaveral. After years of service as the preferred footwear of celebrity astronauts (notably Tom Hanks), Moon Boots came to life during a classified experiment aboard the International Space Station. Little is known of what actually transpired aboard the shuttle, but in short, Moon Boots became a sentient creature, equipped with reason, intuition, and groove. Before long, he grew tired of working for the space-military-industrial complex and found solace in the soothing sounds of underground disco and R&B boogie records. He knew it was only of matter of time before he...
ブーツィー・コリンズ(William "Bootsy" Collins、本名 ウィリアム コリンズ William Collins、1951年10月26日 )は、アメリカ合衆国のミュージシャンでベーシスト、ボーカリスト。オハイオ州シンシナティー生まれ。ジェームス・ブラウンのバックバンドを経てPファンク主要メンバーの一人として活躍し、最も重要なファンクベーシストの一人である。スヌープ・ドッグのおじにあたる。 ブーツィーという名は幼少時に母親がつけたあだ名である。 8歳の頃から、7歳上の兄フェルプス・"キャットフィッシュ"・コリンズを真似て、ギターを弾きはじめた。兄と同じように、ギターもベースも弾いていたが、地元のクラブで演奏するために兄のギターにあわせてベースを演奏するようになった。14歳(1966年)頃から地元シンシナティのスタジオミュージシャンとして音楽活動を開始した。1967年、ブーツィーは、フィリップ・ウィン(ボーカル)と出会い、フェルプス・"キャットフィッシュ"・コリンズ(ギター)、フランキー・キャッシュ・ワディ(ドラム)、ロバート・マッカラウ(テナーサックス)、クレイトン・"チキン"・ガネルズ(トランペット)とともにバンドを組んで演奏するようになった。このバンドは最初ペースセッターズ (Pacesetters) と名乗ったが、この名前のバンドがすでに存在したことから、ペースメイカーズ (Pacemakers) に名前を変更した。このバンドはジェームス・ブラウンの所属レーベル、キング・レコードの目にとまり、ここで多くの大物ミュージシャンのバックを務めることとなった。1968年にはジェームス・ブラウンとセッションをし、このときの録音は『リッキン・スティック Licking Stick - Licking Stick』としてシングル発表された。 ジェームス・ブラウン、JBズ 1970年、ジェームス・ブラウンのバックバンド、フェイマス・フレイムス (Famous Flames) が待遇改善を求めてストライキをおこした際、代役としてペースメイカーズが突如呼ばれ、リハーサルもなしにステージに立つこととなった。難なくこなしたブーツィーとフェルプスらは、1971年までの間、ジェームス・ブラウンのバックバンド、JBズとしてジェームス・ブラウンと活動をともにし、突如ファンク・ソウルミュージック界の中心に立つこととなった。 JBズオリジナルメンバーは、ブーツィー、フェルプス・"キャットフィッシュ"・コリンズ、ボビー・バード(オルガン)、ジョン・スタークス(ドラム)、ジョニー・グリッグス(パーカッション)、ロバート・マッカラウ(テナーサックス)、クレイトン・"チキン"・ガネルズ(トランペット)、ダリー・"ハッサン"・ジャミソン(トランペット)。 それまでリズム隊のメインはドラム、リズムギター、およびホーンで、ベースはハーモニーの低音部であったのに対して、ブーツィーの加入により、ベースが一躍リズム隊のメインに躍り出た。ジェームス・ブラウンはブーツィーのベースをことのほか気に入り、ブーツィーを常にそばにおき、移動の時も(バンドのツアーバスではなく)プライベートジェット機に一緒に乗せていくほどだったという。ブーツィーの在籍時代に、ジェームス・ブラウンは『セックス・マシーン (Get Up I Feel Like Being a) Sex Machine 』、『スーパーバッド Super Bad 』、『ソウル・パワー Soul Power 』などの大ヒット曲を多く生み出した。 しかし、LSD等の薬物使用のため、ブーツィーはステージ上にあってもたびたび幻覚をみるようになった。1971年のある日、自分のベースが蛇に見えたブーツィーは演奏を止めてステージから逃げ出してしまい、ジェームス・ブラウンに解雇された。ブーツィーも、音楽的にオールドスタイルで規律も厳しいジェームス・ブラウンのもとで仕事を続けていくのが嫌になっていたときであった。ブーツィーはタキシードを着てバックに徹しなければならないJBズではなく、サイケデリック・ロックやジミ・ヘンドリックスのような音楽、ビジュアル、ステージアクトがやりたかったのであった。1960年代後半、ジミ・ヘンドリックスが革新的なギタースタイルで黒人による新しいロック・ミュージックを作り出し、またサイケデリックムーヴメントがブラックミュージックにも押し寄せ、スライ&ザ・ファミリー・ストーンがロックやソウルの垣根を超えた新たな音楽を作り出していた時代であった。 ハウス・ゲスツ〜Pファンク ブーツィーはデトロイトに移住し、キャットフィッシュ、キャッシュ・ワディとともに、自身のバンド、ハウスゲスツ (The House Guests) を結成した。ボーカルはペースメイカーズで一緒だったフィリップ・ウィンが担当し、またゲイリー・"マッドボーン"・クーパーも加わった。グラムロックのようなカラフルな出で立ちで激しいステージアクトを行うファンクバンドとして活動した。このバンドで活動中の1972年、スピナーズからバックバンドをしないかと誘いがあった。またファンカデリックを辞めたビリー・ネルソンの代わりのベーシストをさがしていたジョージ・クリントンも、後にパーレットのメンバーとなるマリア・フランクリンの紹介でブーツィーに声をかけた。結局ブーツィーはキャットフッシュとともにジョージ・クリントン率いるPファンクに参加することになり、フィリップ・ウィンはスピナーズに加わった。 Pファンクでは、ファンカデリック1972年発表のアルバム、アメリカ・イーツ・イッツ・ヤングで数曲ベースを弾いたが、Pファンクメンバーの薬物使用の激しさについていけず、また、ブーツィーにとってはファンカデリックの音楽はロックより過ぎたため、一時彼らと距離をおき、キャットフィッシュやキャッシュ・ワディらとともにコンプリート・ストレンジャーズ (Complete strangers) の名で地元でバンド活動をした。しかし、パーラメント1974年発表のアルバム、『アップ・フォー・ザ・ダウン・ストローク Up for the Down Stroke 』の録音には戻ってきて再びベースを弾いた。そして,親指と人差し指、および手のひら全体を使うスラップ奏法とオートワウ(エンヴェロープフィルター)を使い、その後の彼の代名詞ともなる新しいベースサウンドを生み出すことに成功した。パーラメント1975年発表のアルバム『チョコレート・シティ Chocorate City 』、および1976年発表のアルバム『マザーシップ・コネクション Mothership Connection 』ではこの彼の新しいベース音を聞くことができる。さらに1975年には、JBズつながりでメイシオ・パーカー(サックス)、フレッド・ウェズリー(トロンボーン)らをPファンクに引き連れてきた。彼らはその後Pファンクに欠かせないホーン陣となった。 また、ジミ・ヘンドリックスのまねをして歌う声が評判よく、その「ブーツィーボイス」をファンカデリック1975年発表のアルバム、レッツ・テイク・イット・トゥー・ザ・ステージ収録の 『ビー・マイ・ビーチ Be My Beach 』で初披露した。 このブーツィーボイスとブーツィーのキャラクターを生かすため、1976年キャットフィッシュ、フレッド、メイシオ、マッドボーン・クーパー(ボーカル)らとブーツィーズ・ラバー・バンドを結成した。ここでブーツィーは、星形のサングラスをかけ、星形の真っ白いベース(スペース・ベース)を弾き、また「キャスパー」、「ブーツィラ」、「スター・モン」、「ザ・カウント」などのキャラクターを演じる、ユーモアあふれるファンキーなステージアクトを繰り広げ、一躍スターダムにのし上がった。 その後 1980年代に入ると、Pファンクの活動は急速に収束し、ブーツィーも活動のペースを落とした。スターが故のプレッシャーや、音楽以外のビジネス面での仕事が嫌で、故郷のシンシナティでゆっくりしていたという。しかしその後も精力的にソロアルバムを発表し続けた。1980年代後半から1990年代にはビル・ラズウェルのプロデュースのもと、ハードロックやハウス的な音楽をやるなど、活動の幅を広げた。セッション・ベーシストとしても活躍し、キース・リチャーズ『トーク・イズ・チープ』(1988年)、久保田利伸『BONGA WANGA』(1990年)等に参加。2002年、ナイキのテレビコマーシャルに出演したり、2005年モトローラの携帯電話のテレビコマーシャルに出演したりとメディアへの露出が絶えない。2006年に最新アルバムを発表、2008年現在も現役で活動中である。 ベースだけでなく、少し聞くだけで彼のものとわかる、甘くファンキーで目立つ「ブーツィーヴォイス」は、多くのミュージシャンから客演を求められている。ラスト・ポエッツ、スヌープ・ドッグ、ヴィクター・ウッテンなどのアルバムに参加し、彼独特のファンキーさを振りまいている。 またザップのファーストアルバム(1980年発表)ではプロデューサーとしても活躍した。2002年にも地元オハイオ州出身のファンクバンド、フリークベースのプロデュースを行っている。 1997年、パーラメント - ファンカデリックのメンバーとして、ロックの殿堂入りを果たした。 楽器と奏法、ファッション 星型のサングラス、シェイプが星、色は真っ白、きらきらひかる装飾がついたベース(スペース・ベース)がトレード・マーク。 JBズ時代にはフェンダー製ジャズベースを弾き、ハウスゲスツ時代およびPファンク参加初期には、フェンダー製プレシジョンベースおよびアレンビック社製プリアンプを使用していた。1975年、ブーツィーは白い星形のベース(スペース・ベース)作成をラリー・プレスというクラフトマンに依頼した。このベースはブーツィーズ・ラバー・バンドのファーストアルバムのカバーフォトでみることができる。このベースは1977年に一度盗まれた(翌年シンシナティの質屋でみつかり戻ってきた)ため、同クラフトマンに2号機を作ってもらったが、その後20年以上もメインベースとして使用された。その後他のクラフトショップでスペース・ベースを作成し、2003年にはWashburn社よりブーツィーのシグネイチャーモデルのスペース・ベースが市販され、ブーツィーもこのベースを使用している。 ブーツィーのベースサウンドは、ディストーションとオートワウ(エンヴェロープフィルター)を多用した、歯切れのよい、たたみかけるようなよくうねるベースである。「ビヨン」「ポヮ」と不思議な音のするオートワウベースは彼が先駆者であり、彼の代名詞である。オートワウは、Musitronics社製のミュートロンIII (Mu-Tron III) を愛用している。 .