Monkey Magic | ja

アークティック・モンキーズ (Arctic monkeys) はイングランド・シェフィールド ハイ・グリーン出身の4人組ロックバンド。2002年に結成。 2004年以降活況のUKシーンの中で、同時期にデビューした新人勢の中でも最大の成功を収めている。捻くれた高速ギター・サウンドを緩急自在に鳴らし、オアシス以来の超大物とよばれている。 現メンバー * アレックス・ターナー(Alex Turner,1986年1月6日 )- ギター・ボーカル * ジェイミー・クック(Jamie 'Cookie' Cook,1985年7月8日)- ギター * マット・ヘルダース(Matt Helders,1986年5月7日)- ドラム * ニック・オマリー(Nick O'Malley,1985年6月5日)- ベース [元メンバー * グリン・ジョーンズ(Glyn Jones)- ボーカル * アンディ・ニコルソン(Andy Nicholson,1986年4月9日)- ベース アレックス・ターナーとジェイミー・クックがクリスマスにギターを入手。 2002年の夏、アンディ・ニコルソン(ベース)とマット・ヘルダース(ドラム)が加入。Bang Bangというバンド名で、アレックスのガレージにてバンド練習を開始。主にレッド・ツェッペリンなどのカバー曲を演奏し練習。後にバンド名をArctic Monkeysに変更。このバンド名は、ジェイミー・クック(ギター)が命名した。 2005年1月、デモ音源が"The Sheriff"と名乗る1人のファンによってインターネットに公開されるや、たちまち話題沸騰となり、バンドは7月にインディーレーベルのドミノと契約(他にフランツ・フェルディナンドなどが所属)。 10月に1stシングル「アイ・ベット・ユー・ルック・グッド・オン・ザ・ダンスフロアー」をリリース。全英初登場1位とを獲得するとともに、1週間で4万枚を売り上げるという鮮烈なデビューを飾った。英国メディアはこぞって彼らを「オアシス以来の衝撃」と報じた。 2006年1 月23日、1stアルバム「ホワットエヴァー・ピープル・セイ・アイ・アム、ザッツ・ホワット・アイム・ノット」をリリース。本作は全英初登場1位に輝き、当時の英国のアルバム最速売り上げ記録を更新した。同アルバムは2月にアメリカでもリリースされ、発売1週目に3万4000枚を売り上げて(インディーズのデビュー・アルバムとしては史上2番目)、ビルボード初登場24位となる。 さらに英国最大の音楽賞であるブリット・アウォーズなど、国内の主要音楽賞を総なめにして一躍トップ・ランナーの地位を築くことになった。 2007年4月23日に、2ndアルバム「フェイヴァリット・ワースト・ナイトメアー」を発売。全英1位、全米7位など、前作に引き続いて各国で大成功を収めると共に、英国最大のロックフェスであるグラストンベリー・フェスティバルにヘッドライナーとして出演し、早くもその人気は頂点に達している。さらに同年8月に開催されたサマーソニック07の大トリに大抜擢され、サマーソニックにおいて史上最年少(21歳)・デビューから最速でのヘッドライナーとしての出演を果たした。 .
FUNKY MONKEY BABYS(ファンキー・モンキー・ベイビーズ)は、日本のヒップホップグループである。メンバー全員が東京都八王子市出身。2004年結成。所属レコード会社はドリーミュージック。それぞれシングルのジャケットとプロモーションビデオに芸能人を起用することで話題を呼んでいる。実は英語の“BABYS”はスペルミスであり、“BABIES”と綴るのが正しい。だがそれも意図的なものである。通称ファンモン。 .
MONKEY MAJIK(モンキー マジック)は、日本のポップ・ロックバンド。通称「モマジ」「もまじ」「モンマジ」「モンキー」。 メンバー * Maynard Plant(メイナード・プラント):Vo.&G. * Blaise Plant(ブレイズ・プラント):Vo.&G. * tax(菊池拓哉):Dr. * DICK:Ba. カナダ人のネイティブ英語と日本語が織りなす歌詞、そしてメロディーが話題を呼んでいる。ツイン・ボーカル、ツイン・ギターという編成も特徴的。テレビ、CM、映画などでのタイアップが目立つ。SMAPの42枚目のシングル「そのまま」を手がけたことで話題を呼ぶ。 カナダ人兄弟と日本人2人の混成バンドであるため、「ハイブリッド・バンド」と称されることもある。日加国交樹立80周年記念親善大使。メンバー全員が現在も宮城県仙台市在住。 マネージメントはエドワードリミテッドに所属。レーベルについては、スタジオ収録音源はインディーズ時代がUNDER HORSE RECORDS、メジャー・デビュー後がbinyl records(avex内レーベル)、ライブ収録音源はインディーズ・メジャー通じてUNDER HORSE RECORDS。 バンド名 バンド名は、青森県でアマチュアバンドを結成した際、当時のドラマー(イギリス人)が2000年に名付けた。彼は幼少期に、イギリス国内で放送されていた「西遊記シリーズ」(日本テレビ。イギリス国内では「Monkey!」というタイトル)を見て大ファンとなっていたため、同ドラマの主題歌であるゴダイゴの「Monkey Magic」に因んで、バンド名を「MONKEY MAJIK」にした("majik" は "magic" の変綴り)。 この縁故なのか、2006年放送の「西遊記」の主題歌に、2ndシングル「Around The World」が使用された。この曲の全国的なヒットによって一躍有名になった。また、MONKEY MAJIKのメンバーはのちに仙台に移住し、仙台を拠点として活動するが、ゴダイゴのメンバーのスティーブ・フォックスが仙台出身であり、タケカワユキヒデも1998年から仙台の芸術系専門学校で講師をしているなど、不思議な繋がりがある。 ちなみに、バンド名の名付け親であるイギリス人は今でも時々日本に遊びに来ており、その際はメイナードと会っている。メイナードに、「僕が付けたバンド名をまだ使っていてくれて嬉しい。僕の大好きな「西遊記」の主題歌を歌って、すごいし、うらやましい。」と言っていたとのこと。 .
THE YELLOW MONKEY(ザ・イエローモンキー)は、日本のロックバンド。愛称・略称はイエモン。 1989年に結成、2001年1月より活動を停止し、2004年7月7日をもって解散した。なお「イエローモンキー」とは、主に西洋圏で使用される東洋人に対する蔑称である。この名前は、ダサくてシニカルな名前にしたいと考えていた吉井によって命名された。 メンバー 吉井和哉(よしい かずや、1966年10月8日 - )ボーカル担当。愛称・ロビン(LOVIN)東京都北区出身。 菊地英昭(きくち ひであき、1964年12月7日 - )ギター担当。愛称・エマ(EMMA)東京都八王子市出身。 廣瀬洋一(ひろせ よういち、1963年4月19日 - )ベース担当。愛称・ヒーセ(HEESEY)東京都足立区出身。 菊地英二(きくち えいじ、1967年6月6日 - )ドラム担当。愛称・アニー(ANNIE)東京都八王子市出身。 来歴 1988年結成。当初は吉井がギターを担当していた。 1989年12月28日、上記4人のメンバーによる初のライヴ。吉井がヴォーカリストに転向、菊地英昭が加入。 1992年5月21日、コロムビアミュージックエンタテインメントより「Romantist Taste」でメジャーデビュー。 1996年、「楽園」をもって所属レコード会社をファンハウスに移籍。 1999年、ファンハウスがBMG JAPANに吸収合併されたため発売元を同社に移管。 2001年1月、東京ドームでの公演を最後に活動休止。 2004年7月7日、解散。 2004年12月26日、東京ドームで開催されたTHE EXHIBTION AND VIDEO FESTIVAL OF THE YELLOW MONKEY メカラウロコ・15の最終日にメンバーが再集結。「JAM」を演奏した。 概要 バンド初期はデヴィッド・ボウイ、ミック・ロンソン、T.Rexなどを彷彿とさせるグラムロック色が強く、化粧をしたり吉井がライブで女装するなど服装も過激でヴィジュアル系のようなルックスだった。中期はUK・USの王道ロックを思わせるサウンドに。ファンハウス移籍後は独自のロックを追及していき、後期には朝本浩文、森俊之、笹路正徳などの外部プロデューサーを導入するなど新しい試みも見られた。 バンドの誕生日とも言える12月28日には、『メカラウロコ』と言う「昔のTHE YELLOW MONKEYに戻る」と言う趣旨の元、初期の楽曲をメインにしたライブを1996年 - 1999年(1997年を除く)にわたり3度行った。また、これらとは別に2001年の活動休止ライブと2004年の解散イベントも『メカラウロコ』と銘打たれたている。 1998年から1999年にかけて113本にも及ぶ『パンチドランカーツアー』を行う。ツアー前半終了の岡山市市民会館で吉井が「このツアーは失敗でした。」と発言するなどメンバーにとっては楽しいだけのツアーではなかったようだ。 NHK-FMの『ミュージックスクエア』において、「JAM」が1990年代を代表する曲第1位に選ばれるなど、同番組で非常に人気の高いバンドの1つだった。「JAM」は、暗い内容のため発売が見送られる予定であった。だがあるプロデューサーが「JAM」を強く推し発売された。「JAM」はじわじわと人気を獲得し、既にメジャーデビューしていたバンドの人気を不動にした名曲になった。なおこのプロデューサーはその後、他界している。 「JAM」のプロモーションビデオは吉井自らの監督で撮影された。次のシングル「SPARK」以降は「パール」と「プライマル。」を除く13曲のシングルで高橋栄樹が監督を務めた。高橋は、プロモーションビデオとしては異例ともいえる時間的余裕と自由な表現を許容され、プロモーションビデオだけでなく映像作品「BLUE FILM」、ライブビデオ「RED TAPE」などで独自の世界観を持った巧みな映像表現を製作し、吉井から「イエローモンキーの第5のメンバー」と言わしめた。高橋は「LOVE LOVE SHOW」「BURN」を監督した1997年に「SPACE SHOWER Music Video Awards」ベストディレクター賞を受賞している。 バンド解散の際、ごく一般的な「不仲」での解散を報道されることに、メンバー全員が嫌悪感を持った。吉井は「疲れもあるけど、メンバーがどうこうなんて言えない。バンドを解散させるのは辛いし、メンバーは最高だから、別れるのは寂しいし、心細いんだけど、とにかく解散は僕の我儘で、僕の責任」と語った。逆に、他のメンバーからは「吉井を追い込ませて、感情を吐き出させてやれなかった」「もっと力になってやりたかった」など、互いを擁護する発言が目立った。 .